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愛唱歌紹介

三つの願い

三つの願い

附属学校校歌

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「三つの願い」と「附属学校の歌」について

 「三つの願い」は、附属小学校の初代副校長(当時は主事)だった岸武雄先生が1962年(昭和37年)に、「なかまのしあわせのために、よく考え、助け合い、つくりだす、心身ともに健康な子どもの育成を目指す」として現在も大切にされている「自主性、社会性、創造性」という、教育目標をわかりやすく詩に示されたものでした。ジープは自分で考えて動く、雁はあたたかいなかまをつくる、みつばちは子ども達の叫び・活動・エネルギーとして象徴される丈夫な手足(身体)これを正しく美しく育てることが大切だという思いが込められています。これをいい詩だと感じ取られた音楽部の和田三里先生が、一気に作曲されたそうです。群れ飛ぶみつばちの羽音をイメージした前奏の八小節に始まり、明るくて気持ちのいい曲趣の歌は、代々子ども達に浸透し、現在でも附属学校のシンボルのように歌われ親しまれています。そして、翌年、校歌とも言える「附属小学校の歌」の生まれる土壌となりました。そして翌年の1964(昭和39)年、附属小学校10周年を記念してお披露目されました。

 この「附属小学校の歌」は、2020(令和2)年附属小学校と中学校が「岐阜大学教育学部附属小中学校」になることに伴い、「附属学校の歌」として歌い継ぐことを、岸先生のご遺族の方からご快諾いただきました。これからも、この歌を歌い継いで参ります。

愛唱歌「われら愛す」

作詞:芳賀秀次郎
作曲:西崎嘉太郎
編曲:高浪晋一・山田耕筰

1

われら愛す
胸せまる あつきおもいに
この国を われら愛す
しらぬ火 筑紫のうみべ
みすずかる 信濃のやまべ
われら愛す 涙あふれて
この国の 空の青さよ
この国の 水の青さよ

2

われら歌う
かなしみの ふかければこそ
この国の とおき青春
詩(うた)ありき 雲白かりき
愛ありき ひと直かりき
われら歌う おさなごのごと
この国の たかきロマンを
この国の ひとのまことを

3

われら進む
かがやける 明日を信じて
たじろがず われら進む
空にみつ 平和の祈り
地にひびく 自由の誓い
われら進む かたくうでくみ
日本(ひのもと)のきよき未来よ
かぐわしき 夜明けの風よ

視聴
(歌:平成16年度卒業生)
高音質版(約2.1MB)
軽量版(約811KB)

「われら愛す」を歌い続けて50年

 1953年(昭和28年)1月、壽屋が募集した新国民歌の一等当選作である。
 1952年4月28日第二次世界大戦の講和条約が発効し、日本は独立した。しかし、多くの日本人は今なお敗戦のショックから抜けきれず、世の中には頽廃(たいはい)的な気分が消えなかった。国民の誰もが愛唱できる歌で、この社会の風潮を一掃し、勇気づけることはできないか、そんな考えから募集され、選ばれたものである。
 この募集の反響は大きく、全国から作詩五万余編、作曲三千曲が寄せられた。堀内敬三、西条八十、サトウハチロー、佐藤春夫、山田耕筰ら錚々(そうそう)たるメンバーの審査で一等になった歌である。
 昭和29年、岐阜大学教育学部附属中学校の創立間もない頃、音楽科 中斉正晴先生が「生活の中に音楽を」と提唱し、そこで選ばれたのが「われら愛す」である。
 当時の先生方は、初めて全校生徒が運動会でこの歌を歌ったときの思い出を「澄み切った青空の下で全校生徒が歌ったあの感動を忘れることができない。」と回想される。当時の熱き思いを歌い続け、附属の歴史を刻んでいきたい、附属中学校で学んだ証として。